絵巻物で読む 伊勢物語 |
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むかし、氏のなかに親王生れたまへりけり。御産屋に、人々歌よみけり。御祖父がたなりけるおきなのよめる。 わが門に千尋ある影うゑつれば夏冬たれか隠れざるべき これは貞数の親王、時の人、中将の人となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり。 (文の現代語訳) 昔、ある一族に親王がお生まれになった。産屋に一族の人々が集まって祝福の歌を読んだ。そこで、父方の外祖父にあたる翁がつぎのように読んだ。 我が家の門に大きな影を落とす樹を植えたので、夏でも冬でも、その影に身を寄せることができるであろう この親王というのは貞数の親王のことである。時の人々はこの親王を、中将(業平)の子だと噂した。中将の兄の中納言行平の娘がその母親であった。 (文の解説) ●氏:一族、ここでは在原氏、●親王生れたまへり:親王がお生まれになった、ここでは、天皇の女御になった在原業平の娘が貞数親王を産んだことをさす、貞観七年(875)に誕生している、●御祖父がた:父方の祖父の系統、●翁:業平のこと、この時業平は51歳であった、●わが門:我が家の門、ひるがえって一族のことも意味する、●千尋:人が両手を広げた長さ、ほぼ一間(1・8メートル) (絵の解説) 産屋の様子を描いたもの、何故か着衣の散布を中心にして、女たちがかいがいしく働いている。 (付記) 業平の兄行平の娘は清和天皇の女御となり、貞数親王を産んだ。ところがこの親王の本当の父親は天皇ではなく、母親にとっては父方の叔父である業平だと、当時の人の専らのうわさだということになっている。当時は、兄弟の娘に手を出すこと自体は、そんなに不道徳なこととはされていなかったようだ。 |
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