絵巻物で読む 伊勢物語 |
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むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける。 大原や小塩の山も今日こそは神代のこともおもひいづらめ とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。 (文の現代語訳) 昔、二条の后がまだ春宮の御息所と申されていた時に、(后は)氏神にお参りなさったのだが、その際、近衛府に仕えていたある翁が、人々が褒美を賜るついでに(自分も后の)車から直接褒美を賜わったので、歌を読んで差し上げたのであった。 大原のこの小塩の山も今日ばかりは、神代のことを思いだしていることでしょう この翁は、心から悲しいと思ったのか、果してどうだったのか、それは誰にもわからない。 (文の解説) ●二条の后:藤原高子のこと、●春宮の御息所:春宮は皇太子のこと、春宮の御息所とは皇太子を生んだ母をさす、この時、藤原高子は清和天皇の女御であり、皇太子は後に陽成天皇となる、●氏神:藤原氏の氏神、奈良の春日神社を京都の大原野に勧進した、藤原氏出身の女御はかならずそこに詣でる習わしになっていた、●近衛府(このえづかさ):天皇を警護する役所、●翁:業平をさす、この時業平は40歳を超えていたので、翁と呼ばれても不自然ではない、●禄:褒美、●小塩の山:大原にある小塩の山には藤原氏の氏神大原の神社がある、●神代のこと:天孫降臨の際に、藤原氏の祖先天児屋根命が随従したという故事をさす (絵の解説) 大原の神社を描いたのであろう、右手にある車が后の乗る御車、中程にいる男の一人が業平と受け取れる (付記) 翁になった業平が、かつての恋人である春宮の御息所(藤原高子)から、出張先で親しく褒美をいただいた。それに応じて、藤原氏を称える歌を読んで差し上げたのだが、業平の心中は、昔の恋が思い起こされて、かえって悲しかったのではないか、そうこの段は忖度しているのだと思える。 |
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